第2回

4月7日、K市R病院入院。運ばれてすぐレントゲン、CT、MRIなど、
本人はストレッチャーからレントゲン台へ、またストレッチャーへと身体を動かされる度に、
激痛のためかなりしんどかったようです。
ベッドにやっと落ち着いたころには、自分自身、下半身のマヒと、 骨折の痛みに不安でいっぱいだったようです。

その日は、脊髄担当の先生が出張中のためにY医師により説明がありました。
それは、最初に見てくださったM医師と同じく、「車椅子、たれながし」 はっきり言うとそういうことでした。
それでもMRIの結果が出るまでは、内臓損傷の疑いもあり、気が抜けない状態のままでした。
「本人に車椅子、下半身マヒと、奥さんから伝えてほしいのですが…」とY医師に言われ、
「私の話を聞いて納得しなかった時は先生から話してもらえますか?」と言った後、
説明を聞いた部屋から病室までの廊下が長くて、とても辛かったのを今でも覚えています。

病室の前で会社の社長が心配そうに立っていたのですが、「どうだった?」「車椅子、たれながしと……」
後は覚えていないのですが、ベッドで横になりながら私の話を待っているお父さんが

「歩いて帰れるよな……?」

と私を見た目は今でも忘れることができない。
「……車椅子だって。おしっこも、うんちも、‥‥ダメだって……」
正直言い終わったあと次にどんな言葉が返ってくるのか不安でした。
でも、すぐ私の手を握って、

「生きてるから…死ななかったからいいよなっ!」

この言葉は、この後ずーっと私のささえだった。
手術日は、4月12日と決まり、前日、部長先生のS医師が
手術内容の説明にベッドわきまで来てレントゲン片手に手術内容を聞きました。
「全身麻酔だからいっぺんに手首、骨盤、脊髄やっちゃおう!」との事。
手術初心者のお父さんは真っ青。
私にしてみれば、『1回ですむなら思いっきりやってもらいなさい!』

「装具を付けても、杖をついても2本足で歩いて帰れるようにしてあげるからね」
とS医師の言葉に励まされ、夕方3時過ぎに手術室へ。
気が遠くなりそうになりながら、私の友人と二人で待つこと8時間。無事終了。
「予定通りぶじに終わりました。」と、I医師。
札幌から取り寄せたと言うそがいこていが、 タオルかけのように、
骨盤の左右にささったボルトからお腹の上についているのを見て、
ものすごい事をしたんだとビックリ
脊髄も第一腰椎の部分に人口骨を入れ
上下をプレートでとめてるレントゲンも見せて下さり、
手術待ちでヘトヘトになったわたしは、 フラフラ状態で話を聞いているのがやっとでした。
でも本当に一番辛いのはケガではなく、 そういう不自由な身体になったお父さんの心、
それを思う私や子供の心。何もできないイライラ。 何もしてあげれない辛さ。
ひょっとしたらまだ、家族の心は……